「不死症 アンデット」周木律
「不死症」は不老不死人間の行く末の話です。
ざっとまとめるとゾンビものですね。
今回はたくさんの死者が出てしまう=パニックものとして、お話させていただきます。
もちろん本の話もしますが、まずは僕が好きなパニック映画ベスト3を紹介します。
(本の話は3段落目からです。読了後は皆様の好きなパニック映画や小説を教えて欲しいです。)
続きを読む僕がおすすめする小説やエッセイなどを思うがままに紹介していきます。 書籍が映像化した時のドラマや映画などの脱線話も多いです。
「不死症 アンデット」周木律
「不死症」は不老不死人間の行く末の話です。
ざっとまとめるとゾンビものですね。
今回はたくさんの死者が出てしまう=パニックものとして、お話させていただきます。
もちろん本の話もしますが、まずは僕が好きなパニック映画ベスト3を紹介します。
(本の話は3段落目からです。読了後は皆様の好きなパニック映画や小説を教えて欲しいです。)
続きを読む「月曜断食」関口賢
タイトルは太ってる!でもよかったのですが太った!が近いのでしょう。
これを書いている日、僕の体重は63㎏までいきました。
身長は163㎝、BMIは23.7、体脂肪率は22%でした。
ちなみに体脂肪率計は10年ほど前に買ったやつなので正確性を疑っています。
BMIだけ見ると普通の値を示すと優しくて甘い言葉がネットには書いてあるのですが、それが嬉しくてまたばくばく食べてしまいそうです。
ちょっと僕自身のために、痩せたい動機を箇条書きでまとめてみます。
・一年前は53㎏だった。あの頃に戻りたい
・このままではチビでデブになり、なんか多い気がする。
・ワイシャツの第一ボタンが締まらなくなってしまった。ごまかすのが大変。
・順調に増え続ける体重に歯止めをかけたい。
こんなところでしょうか。
目標は55㎏にします。このくらいのときが一番動きやすかった気がします。
それではいざ、実践編へ。
ふむふむ、まずは目次で気になった「コンビニは悪か、助っ人か」を読むことにする。
考えたこともなかった話だが、コンビニは夢の国だ。レジ回りにあるものは大体おいしい。
案の定レジ回りの誘惑に負けぬよう、と書いてあった。厳しい。
この手の本では第1章は学問的な話だ。これを知っていた方が痩せるを意識できるのだろう。
ここでは食べない=簡単ダイエットとある。実に分かりやすい。
あとは月曜断食5つのルールなるものがあった。
これを実践できれば、痩せると信じよう。
どのルールも心まで太ってる僕には厳しいが、
[ルール5〕自己流解釈はしない
が一番難しい。僕の今の環境では喉が渇けばコーラを飲み、小腹が空けばポテチがある。
少しぐらいならいい。というより少しぐらいならカロリーゼロだと思うのだが、それもダメなのか。
この本とは長い付き合いになりそうだ。
少しずつ読んで、体とともに太った心を変えていこう。
皆さまのお役に立てればいいなと思いながら、ネタバレ抑えめで書きました。
どうしても痩せたいという方は本書を手にとってみてはいかがでしょうか?もしくはネットにも月曜断食の方法が書いてありました。
いろいろなダイエット方法があり、どれも信憑性があるわけではないですが、ひとつ確かなのは食べなければ体重は増えない!ということでしょう。
そこをついた本書は信頼できる気がします。
ちなみに僕のタイプの女性は「痩せたいよー」といって泣きながらチョコを食べる人です。
まだ、出会ったことはありませんが。
太るのは簡単なんですけどね。
僕は夕飯の後セブンイレブンに行ってカルボナーラとアイスのスーパーカップを嗜んでいたのでそのときはすぐに70キロまでいきました。
1都3県に緊急事態宣言が発令され、飲食店は夜20:00までの営業を要請されております。これにより夜に飲むことが難しくなり、しぶしぶサラリーマンはそのまま家に帰宅するしかなくなってしまったのですが、反面、20:00までであれば飲食店が空いているということで、とんでもない解釈が横行しているということなのです。
昼に飲めば良い緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せました。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れました。https://t.co/svd4tJQhC2
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) January 10, 2021
https://platform.twitter.com/widgets.js
ということで、現在問題となっておりますのは、夜20:00までしか空いていない店を逆手に取り、昼間に飲めばいいのではないかという解釈です。いわゆる「昼飲み」ということになるのですが、首都圏の商店街や商業施設ではこれを利用し、多くの賑わいがあるのだという。
また、時事通信社によると、上野アメ横商店街では、昼間でも大混雑。昼飲みを楽しむ人でごった返しているのだという。自粛をするという意味合いでの「緊急事態宣言」だったのだが、時短営業の合間を縫い、営業時間内でなら飲んでも大丈夫という解釈なのだろうか。
ただしこの発想には、もっと深い問題があり、以前菅総理が、大人数でのステーキ会食を行ったことが物議を醸した。
つまり会食であれば、総理がOKしているという解釈がされ、それを国民に利用されてしまったということだ。
緊急事態宣言で昼飲みが増えてるらしいんだけど、本当にどうしようもないな。
— おみそ先生 mao (@mao_26k) January 10, 2021
https://platform.twitter.com/widgets.js
時短だけど、その時間内に会食はOK。
こんな考え方が、どうやら国民の意識として広まりつつあるようで、SNSでも「昼飲み」を愉しむ方の投稿が増加している。
果たしてこのチートのような昼飲みも政府によって制限されるのか、それとも黙認されるのか。コロナと言うより、ストレスを溜め込んだ国民と、あらゆる忖度をしなければならない政府の我慢比べが始まった。
2020年のクマによる被害は4月~10月の間に限っても132人。環境省のデータによると、過去最悪となった2019年の157人に迫るペースとなっている。山中に立ち入るにあたって、誰もがクマとの遭遇に無自覚ではいられないのが現状だといえるだろう。
ときに人を襲い、殺害してしまうこともあるクマ。もしも遭遇した場合はどのような対処をとれば、最悪の事態を逃れられるのだろうか。日本ツキノワグマ研究所理事長を務める米田一彦氏による著書『熊が人を襲うとき』より、誰もができる最善の対処法を引用し、紹介する。
◇◇◇
死んだ振りは有効だ『明治43年9月17日、栃木県塩谷郡で鉱物調査中の男性(55)が寝ているクマと遭遇、手、額に重傷。「死人の真似」をした。』読売新聞(1910・9・20)
この日、クマ事故で初めて「死んだ振り」の対応をした人が紙面に現われた。子牛ほどのクマと遭遇して、言い伝え通りに死人の真似をしたそうだ。そうする以外にないほど重傷で、防御体勢をとったと思われる。
『大正15年5月6日、福島県湯本村二岐温泉で、男性4人(68、67、60、58)が親子3頭のクマと遭遇、一斉に「地面に伏せ」無傷。』読売新聞(1926・5・16)
敵と遭遇したら発見されないように「地に伏せる」ことはあるが、死んだ振りをして、クマをやり過ごした面白さを記者が捉えたのだろう。温泉の湯煙に酔ったようなおじさんたちが揃って地面に伏せた。微苦笑を誘われる記事だ。
「死んだ振り」「死んだ真似」「寝たまね」「死人を装い」と文字になっているものは80人いる。「伏せた」と発言している人も女性を中心に85人いる。これは、女性が無意識に顔を守るために取った行動と思われる。
女性ではクマに遭遇して動転し、気絶状態で地面に寝そべる例が多数ある。
(1)基本型
『31年10月5日、福井県加戸村で、水汲みの男性( 58 )が遭遇、「死んだ真似」をしたら、同人の肩を二、三度叩き、無傷。』朝日新聞(1931・10・9)
クマの大出没年だった昭和6年(31年)に3件の「死人を装う」「死んだ真似」事故が見られる。このころにはクマに遭遇したときの対応のひとつになっていたようだ。同人の肩を三度まで叩いたのは、通り過ぎるときに当たったのではないか。
『59年10月17日、福井県大野市で、農作業中の女性(51)が遭遇「死んだ真似」。クマは同人の後頭部を叩いて通り過ぎて軽傷。』福井新聞(1959・10・18)
「後頭部を叩いた」は、通り過ぎるとき、爪でも当たったのではないか。「死んだ真似」という用語は戦後期に日本海側に限定的に使用されている。
クマのささやき53年10月5日付けの福井新聞に、この秋のクマ大出没を受けた特集記事に「クマ報道での名文中の名文」が載っている。
『クマと出くわしたら騒いだりせず、付近の窪地へ素早く伏せ、とくに顔を地面に、へばりつき静かに息を殺しているとクマは一応、背中を、なでる程度で危害を加えず、しばらくすると行き過ぎると言われている。これを「クマのささやき」という。』
私も一貫して、この文章の論旨と同じ言い方で対処法を勧めている。最初の小さなクマの手出しが「ささやき」で、その後被害者がどういう対応を取るかで重大事故へと拡大するか、その軽減法を私は近年の事故例から探っている。「クマのささやき」は、どこかに原典があるのだろうか。誰が言ったのだろう。
(2)監視型
『53年10月23日、長野県永田村で男性(34)がキノコ採り中、後ろから突然に襲われて重傷、咄嗟に身を伏せて死んだ振りをした。クマは20分間ほど、周りを歩き続けて去った。』信濃毎日新聞(1953・10・24)
このように受傷して死んだ振りをし、10分後、20分後、30分後に見回したら、クマの姿が消えていた例が18人ある。
『76年4月28日、滋賀県木之本町でワラビ採り中の女性(66)が親子3頭と遭遇、死んだふり10分後、立ったら顔を殴られ重傷。』読売新聞(1976・4・29)
前2例の死んだ振りは、その後の様子が異なる。後者のように襲われて小さな被害を受けて死んだ振りをし、その体勢を5分、10 分、1時間と続けた後、立ちあがって逃げようとすると、ガツンと殴られて重傷に変じた事故が22人もある。
《クマは死んだ振りをした人を遠くから長時間、監視している》――米田
監視後にクマが去った人が18人あった。立つと、ガツンとやられたのが22人。待つべきか、立つべきか、難しい問題だ。後者は「遺体を守って24時間、蟠踞」の類型なのだ。こんなときは「クマの攻撃性が低い段階なので追い払う」爆竹が役立つだろう。
(3)核心例
次例は、この項の最も核心的な事例だ。
『86年6月5日、山形県大蔵村で営林作業中の男性(58)がクマと遭遇し、背を向けて逃げると襲われると思い、斜め方向に走った。前に転び死んだ振り。クマの息吹が聞こえたが、去った。』山形県庁調書
当時、私は山形県庁の担当者から話を聞いており、クマが男性の周りを歩いて様子を窺ったという。6月の交尾期の雄グマの行動で、「雌グマかどうか情報を集めるため」近寄ったと思われる。
山形営林署管内では、クマと遭遇したら「背を向けて逃げるな」と教育されているようで、例がいくつかある。
死んだ振りをしたことで九死に一生を得たこの遭遇戦、クマと正対しつつ斜めに移動し、積極的に反撃せずに地面に倒れて静かになった男性に、クマが攻撃性を低下させたように見える。
長年山仕事で足腰を鍛えた営林署員でも、山野で走れば、転ぶ。
死んだ振りをしている男性を恐れたクマ(4)躊躇い型
次の例は時間を追って想像してもらいたい。若いクマの攻撃生態を活写している最重要な例だ。死んだ振りをしている男性を恐れ、攻撃を躊躇っているようだ。
『84年6月2日、岩手県遠野市で山菜採りの男性(64)がクマに足を咬まれて転倒。クマは木に登り、痛がっている男性を見下ろした。男性が逃げるとクマは飛んできて男性を引っ掻いて、また木に登った。男性は困惑し、クマと根競べに入り40分、男性は堪らず逃げ出すと、クマは木から降りてきて男性を襲い、斜面を50m、転落、クマは逃げた。首など全身、11 箇所を咬まれて全治1ヵ月の重傷。』河北新報(1984・6・3)
《クマの強襲には柔らかく対応するべきだ》――米田
女性被害者497人中、確実に鈍器を振ったのは16人だけで、多くはごく自然に地面に伏せるので「首をガードして顔を守る」方が現実的だ。
山に不慣れな行楽客、都会人が、逃げた途端に不整地に足を取られて転び、恐怖で頭を両手で抱えるのは自然な心の動きと身体動作だ。
ナタ、カマなどで反撃し、その後で「死んだ振り」に転じてもクマの攻撃性は継続することが多く、その結果重体、重傷など受傷程度を上げるのは不適だ。
攻撃されても死んだ振りをすることで…・クマの一撃後に被害者が「死んだ振り」に転じた場合、クマは攻撃性を低下させている。
・クマは「強反撃には強襲」で反応してくる。
・クマは「静対応には力を弱める」習性がある。
2008年9月17日、登山家の山野井泰史氏は東京都の奥多摩で子連れのクマに襲われ顔、腕に重傷を負った。流石に道を究めた人だけあってコメントが秀逸だ。
「生きているクマに触れられるなんて……貴重な体験をした」。同氏は『岳人』12月号で事故の詳細を語っている。最初にクマの吠え声がして、右腕を咬まれて引かれ倒され、次いで顔面を咬まれたそうだ。なにより私が興味を覚えるのは事故直後のこの発言だ。
『クマは鼻付近に食いついて放さなかった。これ以上抵抗するともぎ取られると思い抵抗をやめたら力が抜けたので脱出した』
ここに被害軽減の極意があるように思える。同氏が最後まで頑強に抵抗していたらどうなっていただろう。もう一撃を受けていたら、より重体化したに違いない。
同じ日、北海道中標津町で男性がヒグマに顔面粉砕されて死亡しているが、こちらは小さく報道されただけだった。
『クマに襲われたカナダ人女性、「死んだふり」で命拾い』ロイター(2010・7・29)
米モンタナ州ギャラティンのキャンプ場で28日未明、男女3人が野生のクマに襲われたが、そのうちの1人は「死んだふり」をして命拾いした。デブ・フリールさん(58)はテント内で就寝中、痛みで目が覚め、『クマの歯が腕に食い込み、骨が折れて悲鳴を上げたらクマは、さらに歯を食い込ませてきた。それで死んだふりをして、筋肉をだらりとさせたらクマも力を抜いて、自分を離して去った』
闘うよりも現代の高度医療に頼るべき繰り返しになるが我々クマ研究家は、クマが攻撃してきたら「首を両手でカバーし、体を丸めて地面に固着することによって、重要器官を守れ」と提唱している。 頭頚部を守るために死んだ振りをするのは、現代のクマ研究者が勧めている「うつぶせ首ガード法」と同義なのだ。
人間の体の前面は加害に弱く、攻撃は背で受けて凌しのぐべきだ。我々も怖く感じる大グマほど攻撃は短時間で終わり、悠々と森に隠れる。闘うよりも現代の高度医療に頼るべきだ。
《クマの攻撃性が低い状態で襲われたときは、首をガードして「死んだ振り」をした方が重傷化を防ぐ。山に慣れていない一般人には適した方法だ》――米田
「死んだ振りは致命的だ、ナタで闘え」とする発言は、昭和期の医療水準の低い山間僻地で行われた手法なのだ。
(米田 一彦)
どんな仕事だよってツッコミが入るかもしれませんが、僕はときどき子どもに怖い話をしていました。
そのときはこの話をします。
これは僕の父が50年くらい前に小学校で経験した話なんだけどさ。
当時は今みたいに学年にひとクラスしかないよって学校はなくて、父さんは一学年で8クラスぐらいある学校にいたのさ。
でも父さんの通う学区では子どもの数が多いのに交通整備があまりされていなくて毎年のように事故で亡くなってしまう子がいたのさ。
で、父さんが小4のとき、クラスメートのN君が事故で亡くなってしまったんだって。
担任の先生は1時間目をつぶして語るのさ。
まずは黙祷して、次に黒板に大きく事故があった交差点の絵を描き危険なところを教えてくれたの。
いつもは賑やかなクラスはすごい真剣に先生の話を聞いているんだよね。
先生の話は「交差点では、くれぐれも気をつけるように」と、ひととおり終わるんだけど、しばらく無言でクラス一人ひとりの顔を見回してはさらにN君の話を続けたんだ。
当時の遊びって今みたいにスマホも無ければゲームもないのよ。
遊びと言えば野球!とは言っても今野球クラブで練習してるのとは全然違う感じかもね。
みんなグローブ無しでバットは一本ね。
ただ投げて、打って、走って、それを交代しながら繰り返すのさ。
N君は足も速いし自分でお金を貯めて買った木製バットもあったから野球遊びの中心人物な存在だったんだよね。
その日もN君は家に着くなりバットを持って自転車を飛ばしてグラウンドに集合。そんでいつものように野球をやってたんだって。
5時になって、使うボールは最後にキャッチャーをやってた子が持って帰るって決まりにしてたからキャッチャーの子だけグラウンドの見回り、他の子は解散したのさ。
で、その見回りしてたの子は日はいつもと違うことに気づいたのね。
それはN君がバットを置いて帰ってしまっていたこと。とっても大切にしてたから、忘れるなんて今までなかったのにおかしいなって。
急いで追いかけたら、N君の背中が見えたんだ。で、大声で呼びかけたんだって。「バット忘れてるぞー」
そうしたらN君は振り返って「もう使わないから」って言ってそのまま走り去っちゃったんだって。
その直後にN君は事故にあったと、先生は淡々と話してくれたってさ。
先生は嘘をつくような人じゃないしそんな場面で冗談も言えないよね。
人は死ぬ直前で自分の運命を知ってしまうんだろうか。
突然に、時期が来たことを悟るのか。
それとも、何者かがそのことを告げに来るのか。
父さんはいまでも「死」そのものよりも、「何者」かがそれを告げに来ることの方が怖いんだって。
これで、話を終わりにします。今日はもうおやすみ。
いかがでしたでしょうか。こんなところです
参考書籍は阿刀田高さん選の「奇妙にとっても怖い話」です。
そうです。父の体験談とは嘘になります。リアリティを出すためには必要な演出だったのです。
もちろん最後には父の話じゃないことを言いますが。
ちなみに父から授かった怖い話では墓を漁り骨を食べる老婆の話が一番怖かったです。
本書は怖い話の体験談が4たくさん集まったものです。
この中で一番怖かった、この話を子どもたちにしてもあまり怖がってくれません。
どこかでお前だ!ってやれば怖がってくれるかもですが、それはしたくないのです。